2009/12/28

「水と土の芸術祭」フィナーレイベント

北澤潤八雲事務所 鈴木です。

12月27日(日)、北澤の参加した「水と土の芸術祭2009」のフィナーレイベントに行ってきました。万代島ビルの31階、夜景のきれいな展望室で行われました。
約6ヶ月に渡る芸術祭のフィナーレ会場は、作家さんやスタッフさんをはじめ、多くの来場者で熱気に溢れていました。












フィナーレイベントも盛り上がっていましたが、会場の一部では“浮島”ならではの盛り上がりもあったのです。
“浮島”に訪れてくれた方々と再会することができました。
ほぼ毎日遊びにきていた兄弟です。少し大きくなっていました。















“浮島”のなくなった今も、新潟との関わりが続いていたことに、なによりも喜びを感じるのでした。


鈴木

2009/12/26

掲載情報

2009年12月20日発売された「月刊美術」に浮島の写真が掲載されています。全国書店にて購入できます。

2009/12/15

卒業制作作品集

つくばで卒業制作作品集の顔写真を撮りました。卒業アルバムのような扱
いで、久しぶりにみな集合。大学生活の終わりが近付いています。

2009/12/12

歴博にいってみる















展示プランの参考に、佐倉市の歴史民俗博物館にいった。
ひさしぶりの博物館。フィールドワークで猪苗代にいったとき立ち寄った民俗博物館以来か、みなとぴあはよく行くけれども。

プロジェクトを行いではなく、日々にしたい。
展示を記録ではなく、史記にしたい。
博物館の見せ方は参考になる点が多い気がした。

北澤


2009/12/05

余所者の限界線を超えてみたい

余所者であるからこそできることがあります。
それは余所者でない者にとって、なにか強烈である可能性をもっています。
なにかクリティックである可能性をもっています。

余所者としてなにかをするときに、その場はこうかもしれないという仮定をしなければなりません。その対象がいかに小さくとも、いかに大きくとも。
その仮定の危険性を余所者を知らねばなりません。
余所者として、その場を見渡すだけで仮定はできません、
その場合の仮定は、たくさんの事から眼を背けてしまっているかもしれません。

あえて余所者であると言います。余所者としてあらわれて、余所者でなくなっていく時間の重要性についてふるまいます。
余所者でなくなっていったとき、内部にいれたとき、ようやく内部にいながらの外部として居ることができます。
内部にいながらの外部者として、その場に眼を向けたからこそ、見えてくる何か、その時に起きてくるなにかに余所者の限界線を越えた可能性を思うのです。

北澤